歴史に翻弄された平和公園・その2 ~ ザ・宮崎県

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歴史に翻弄された平和公園・その2


歴史に翻弄された平和公園ですが、太平洋戦争後にGHQの進駐後、大東亜戦争、八紘一宇という言葉が日本の昔からの精神であるということで、国家神道を連想させるとされ、GHQによって八紘一宇の文字と共に、荒御魂像も同時に取り除かれることとなりました。

そして、その後の平和の塔と呼ばれる公園となり、1957年に都市公園として指定を受け平和の塔も復元されたということになります。
そして、かつての像、荒御魂も1962年には復元され、また1965年には、塔にかつて書かれていた文字、八紘一宇の文字も復元されることとなりました。
この復元には、中心的に推し進めた方々がおられました。

それが、当初、県の観光協会会長の岩切章太郎氏と宮崎交通の社長です。
正面の扉は、青銅の扉で天地創造にはじまって、神武天皇が美々津港から船出をするといった模様が描かれています。

現在では、宮崎の代表的な観光地となっている平和公園も、昭和39年の東京オリンピックの際には、平和の塔が聖火リレー宮崎ルートでのスタート地点となったほどです。
また今では、運動広場、自然散策路として地元のレクレーション施設として使われています。

平和公園の入園は、お金がかかりません。
ただし、駐車場に関しては、第1駐車場がpm10:00まで、第2駐車場は、pm5:00までの利用となりますのでお間違えのないようにしてください。
■平和公園事務所………TEL 0985-35-3181


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